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馬上の姫君   第七章   秀吉矢傷の後−7

               馬上の姫君

           第七章  秀吉矢傷の後ー7

         北畠正室松の方秀吉の人質となるー4


 『具教が多気城を去って隠退するならば、信長の子、茶筅丸を養子に

 遣る。これに同意するならば、今後、具教に対して粗略な扱いをしな

 い。御正室の身柄は藤吉郎が預かっているが和談に同意すれば無事に

 送り返す』

  大河内城内では、食料、弾薬ともに欠乏、残るはただ精神力に縋る

 のみとなっていた。

 「神国を攻めるものは祟りにおうて、織田はいずれ滅ぶ」

  三男の式部大輔や藏田喜右衛門らもこれに同調して主張する。

 「敵が攻めあぐんでいる時こそ踏ん張らねばならぬ。時間稼ぎの和議

 申し入れなどに乗るでないぞ。今こそ攻撃じゃ…」

  これらの精神主義に対して合理派の水谷俊之が反論を申し立てる。

 「兵は疲労困憊し、城内には厭戦の気分が流れております。時を稼ぐ

 は我が方、また、養子として入れれば茶筅丸は人質も同然。それに、

 奥方様のことを考えれば和議が適当かと…」

  水谷俊之は木造の家老の身ながら具政が織田に寝返った時、一族十

 人と木造城を脱出、波多の横山の御台屋敷に至り、佐々木与志摩と大

 河内城の具教に木造謀叛を進駐した硬骨感である。若いころは具教の

 小姓であった。数日にわたる議論の末、水谷の論が支持され、大勢を

 占めるに至ったため和議を求めることにした。十月四日、船江(飯南

 郡松江村、現松阪市内)の薬師寺において国司父子と信長の次男で十

 一歳の茶筅丸(のち信雄)とが親子の杯を交わし具房の養子となった。

  その日、具教、具房父子は大河内城を滝川一益と津田一安の両奉

 行に引き渡し、多気笠木の坂内御所へ退去する。開城と同時に木下

 軍に人質となっていた北畠正室松の方と女佐の臣佐々木与志摩は無

 事解放された。叔母でさえ刑死に至らしめる信長の陣営にあって、

 松の方が事なきを得たのは異例のことで、女佐の臣与志摩が側にお

 付きしていたことと、二人を人質として預かった滝孫平次、孫八郎、

 右近らの兄弟がかつて譜代旧恩をうけた家の姫君として手厚く配慮

 してくれたことによる。具教の退去した多気笠木の坂内御所は娘小

 坂御前の婿坂内兵庫頭具義の城であった。信長の命を受けた滝孫八

 郎(中村一榮)はお松の方と与志摩の二人の人質を丁重に坂内御所

 に送り届けた。具教が目の中に入れても痛くないほど可愛がった娘

 の小坂御前は亀千代をあやしながら松の方の無事を喜んでくれた。

 この坂内御所には具教の寵愛する内室お鈴の方もいる。お鈴の方は

 次男具藤、三男親成、長女小坂御前、次女千代御前の生母であった。

 松の方は二日で具教のいる坂内御所を辞退し、与志摩を連れて再び

 波瀬川畔の波多の横山にある御台屋敷へ帰った。

  茶筅丸は十月下旬、大河内城に入ることになった。信長は茶筅丸

 が若年であることを口実に、多くの腹心の武将に守らせ、津田一安

 を南方奉行に命じた。その後、滝川一益に安濃津、渋見、木造を、

 弟信包に上野の城を守らせる仕置きをし、霧山城、田丸城を始め伊

 勢の諸城を取り壊すように命じて伊勢神宮に参拝、山田の堤源介の

 邸に泊まり、九日に千草越え、十日、近江市原泊まりで上洛、伊勢

 を去った。この時すでに、神戸具盛の城には信長三男信孝が養子に

 入っていた。具盛には予(かね)てより関盛信の子をもらい受ける約

 束があったため信長と不仲になる。具盛の家老で高岡城代の山路弾

 正胤常は、与志摩とともに女佐の臣として北畠に入り、のち神戸目

 付に転出、永禄十一年の信長北伊勢侵攻を一時撃退して有名をはせ

 たが、信孝に帰属するを潔しとせず、しばし近江に帰農した。茶筅

 丸入城の日、城門に出迎えた水谷俊之は随行の兵団が多いのを見て、

 認識が甘かったことを痛感する。茶筅丸を先頭に後見役の津田一安、

 二、三間ほど離れて生駒平左衛門、城戸内蔵助、天野佐左衛門、池

 尻平右衛門、土方彦三郎三ら馬廻りと随兵五百騎、さらに三間ほど

 離れて木造家老源浄院と柘植三郎左衛門、木造の兵士五百が続々入

 城してきたからだ。茶筅丸の横に付き従う南方奉行津田一安の威張

 りように水谷は思わず目を覆いたくなった。愛娘奈津を具教に処刑

 され北畠に憎悪を抱く柘植三郎左衛門は報復の思いを顔面に凄ませ

 て水谷俊之を睨みつけた。木造具康(庸安院)の子源浄院は無視す

 るがごとく冷淡に白々しく通過して行く。

 『迂闊であった。息の根を止めずにはおかない織田の峻烈な報復が

 これから始まろう…』

  水谷は判断を誤ったことを痛烈に悔いた。この日から源浄院は還

 俗して、一益の養子となり滝川三郎兵衛を名乗ったが、そのことも

 水谷はじめ北畠旧臣らの不安と焦燥を一層煽り立てた。

  茶筅丸が大河内城の主になると、肥満の具房にはない涼やかな顔

 立ちと凛とした動作に憧れる者も多く、中間派の人々の期待感を旨

 く利用した滝川三郎兵衛と柘植三郎左衛門が着々と織田の地盤を築

 き始め、具教の末娘雪姫(千代御前)との婚約が整う頃には、織田

 に靡く家臣も次第に増え、具教は追われる様に、次男具藤を連れて、

 三瀬谷(多気郡大台町)の城へ隠棲する。


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