おもろいこと発見。

ゆかいなこと。たのしいこと歓迎のブログ。

<< 馬上の姫君   第七章   秀吉矢傷の後ー3 | TOP | 馬上の姫君   第七章   秀吉矢傷の後ー5   北畠正室松の方秀吉の人質となるー2 >>
馬上の姫君   第七章   秀吉矢傷の後ー4  北畠正室松の方秀吉の人質となる
にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へにほんブログ村


               馬上の姫君

           第七章  秀吉矢傷の後ー4


          北畠正室松の方秀吉の人質となる


  阿坂城を落とした織田軍は、近辺の北畠小城は歯牙にもかけず、その

 まま軍団を進めて町を焼き払い、八月二十八日、北畠具教の立て籠もる

 大河内城を包囲した。信長に下った進藤山城守、後藤喜三郎、蒲生右兵

 衛大夫、永田刑部少輔、青地駿河守、山岡美作、玉林などの近江の武将

 は池田恒興、丹羽五郎左衛門、滝川一益、稲葉伊予守などとともに大河

 内城の南方に配置された。

  秀吉は三千の兵を率い、別動隊となって西へ動いた。霧山城に集まっ

 た北畠軍が大河内城に合流しないように食い止めるためである。雲出川

 沿いを西へ進撃した秀吉は、小山二ノ谷の小鳥山頂上にある大多和兵部

 少輔の山城を落とし、井生の成福寺に火をかけた。さらに白山まで侵攻

 して、白山神社にも放火する。このため本社三殿、長宮、神楽殿、絵馬

 殿、拝殿などことごとく焼亡、山内西方の八幡宮、北方の愛宕神社、東

 南方の八王子末社に至るまで類焼した。秀吉は次なる標的、井ノ口権現

 山の波瀬蔵人具祐の城に狙いを定めて、大仰から波瀬に入ったが、この

 辺りから阿坂城攻撃時に大宮大之丞景連に射抜かれた太股の矢傷が疼

 きだした。なにしろ十日ほど前まで、秀吉は兵庫の生野で戦っていた。

 生野銀山を支配する山名祐豊の出城生野城や、祐豊の居城此(この)隅

 (すみ)城など十八の城を攻め落とし、但馬から急遽帰陣したばかりで

 ある。遠征の疲労に加えて、阿坂で受けた矢傷が秀吉を苛(さいな)ん

 だ。馬上で痛みを堪えて、なんとか下(しも)の世古(せこ)の辺りまで

 は来たが、高熱が出て、だんだん意識が混濁していく。

 「兄者、ひどい脂汗じゃ。大丈夫か」

  馬を並べた秀長が心配する。

 「心配するな。これしき……」

  虚ろに答えた藤吉郎秀吉は馬の首に額を押しつけると何も言わなく

 なった。

 「孫平次、何処ぞ兄者を休ませるところはないか」

  振り返って滝孫平次(後の中村一氏)に尋ねる。

 「あれに手頃な武家屋敷がみえまするが」

 「…孫八郎、井ノ口の波瀬城までどのくらいの距離じゃな」

  今度は孫平次の弟孫八郎(後の中村一榮)に聞いた。

 「半里程かと…」

 「それほどの距離があるならば、あれでよい。あの家に兄者をお連

 れ申せ」

 「承知仕った。安全かどうか、右近ら我が手の者に確かめさせるこ

 とにいたしましよう」

  滝孫平次配下の騎馬七、八騎が偵察のため川縁の武家屋敷めざし

 て駆けていく。太股の矢傷に馬上で気を失った秀吉は弟秀長の配慮

 により、川縁の武家屋敷で一時休息することになった。しかし、そ

 の瀟洒な武家屋敷こそ、正室松姫の住まう御台屋敷であったのだ。


にほんブログ村 小説ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 歴史書へにほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村
12:20 | 時代小説 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
コメント
コメントする










この記事のトラックバックURL
http://blog.ichisiakituna.com/trackback/60
トラックバック

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--